蝶野正洋のイオン防災・救命119OPEN CAMPUSの『理不尽な力に立ち向かうために~2022年『蝶野正洋の防災・救命119振り返り~』ページ

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『理不尽な力に立ち向かうために~2022年『蝶野正洋の防災・救命119振り返り~』

『理不尽な力に立ち向かうために~2022年『蝶野正洋の防災・救命119振り返り~』

2023.03.31

『理不尽な力に立ち向かうために~2022年『蝶野正洋の防災・救命119振り返り~』

リングの上ではルール無用。
審判の制止を聞き入れず、非道の限りを尽くす。
強靭な肉体は誰かを叩きのめすために鍛え上げられたとでも言うように暴れまわる蝶野正洋は、対戦相手にとって理不尽そのものでした。

そんな、蝶野正洋は昨年、全国15カ所以上のイオン店舗を回り防災・救命の啓発活動を行いました。
救急隊員や自衛隊ら専門家とともに、災害時に身を守るためにとるべき行動や、日頃の備え、そしてAEDの大切さを説いて回ります。

その知識量は専門家が「私たちの出る幕がない」と目を見張るほどで、熱くなって予定時間を大幅に過ぎることもしばしば。
小さな子供から若者たちにお年寄りまで、会場を埋め尽くす人々に自分の想いが伝わるまで、繰り返し繰り返し訴えます。
堅い話ばかりで飽きられないように、司会の若手芸人との軽妙な掛け合いも忘れません。「コロナじゃなかったらビンタしてやるのにな」と脅かしますが、サングラスの奥の柔和な表情に、我々が知ってる蝶野正洋の凶悪さはありませんでした。

これまで築き上げた「黒のカリスマ」のイメージを壊してまで啓発活動に力を入れる蝶野さん。そのきっかけは、2人のレスラー仲間の死と東日本大震災でした。
2004年、同期の橋本真也さんが病に倒れ、40歳の若さでこの世を去ります。
2009年には共に時代を牽引した三沢光晴さんが試合中の事故で亡くなります。
2011年の東日本大震災では現地に赴き、甚大な被害を目の当たりにしました。
2人の盟友の早すぎる死と、未曽有の大災害を通じて、蝶野さんは「病気や災害の前で自分はあまりに無力だ」と痛感します。

理不尽な力の象徴だった蝶野さんが、理不尽な力に対抗する手段を考えるようになります。

そして「三沢の悲劇を繰り返さないためには、アスリートも救急車が到着するまでの応急処置を知っておくべきだ。」と東京消防庁が主催するAEDの講習会を訪れます。

「巨大災害も、事前の準備や防災の知識があれば助かる可能性が高まる」と、防災イベントに積極的にも参加します。

理不尽な力に対抗する手段はただ一つ。「学ぶこと」
蝶野さんは積極的に学び、
そしてその学びを多くの人に広めるべく啓発活動に力を入れます。
その後イオンに依頼されたのを機にその活動範囲を全国に広めていきます。

ある日の啓発活動のこと、控室に戻る蝶野さんに1人の女性が声をかけます。
「病気で寝たきりの夫が蝶野さんの大ファンです。夫の代わりに会場に来ました」とサインを求めます。快くサインに応じた蝶野さんは女性を控室に招き入れます。
そして、テレビ電話をつなぐと女性の旦那さんと画面越しに長時間お話をし、「病気に負けずに強い気持ちで戦い続けるように」と励まし続けます。

「学ぶことは自分だけではなく、大切な人の命を守ることにも繋がる」
日頃からこう話す蝶野さんですが、知識とともに大切なのは優しさだと感じさせる出来事でした。

2022年「蝶野正洋の防災救命119」と銘打ったイオンでのイベントは、地震への備えとAEDの使用方法を啓発してきました。
しかし、蝶野さんから「ここ数年、日本ではあらゆる災害が起こってます。地震だけでは足りないんじゃないか」と提案を受け、2023年からは火災や水害、台風、熱中症など、季節ごとに発生やすい災害や病気に対する備えも盛り込むことになりました。

時代が変われば、災害の種類も防災の手段も変わります。学ぶことを止めてはいけません。
2023年「イオン防災・救命119 OPEN CAMPUS」が開校。3月11日の水戸を皮切りに全国を回ります。
蝶野正洋があなたの近くのイオンを訪れます。
自分の命と大切な人の命を守るために、蝶野さんとともに学びましょう。

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